バイイ・クレーターの不思議な“台地”2023/08/16

バイイの見え方比較
月面南緯が66°を越すところにバイイという巨大クレーターがあります。直径300kmを越しますが地球からは月縁近くになってしまうため、全容をきちんと見るチャンスはそう多くありません。このクレーターについて、「月世界への招待」ブログでおなじみの東田さんが「細い月のバイイは中央が盛り上がった独特な見え方をします」とおっしゃっており、とても興味が湧きました(→撮影日記・2023年8月14日参照)。

幸運にも8月12日14日の明け方に撮影した月面にバイイが写っていたので、比較したのが左画像。私は普段あまり部分拡大を撮らないため、全球画像からの切り出しで画質が悪いですがご容赦を。各画像の中央付近にバイイが大きく横たわり、AとBのマーカーはクレーター内にあるバイイAとバイイBというサテライトクレーター。(※黄色矢印は後述。)バイイBだけでも直径60kmクラスですから立派です。

さて、12日画像のクレーター内は多少凸凹があっても一様に照らされているのに対して、14日は一変していますね。バイイBの左側、点線楕円で囲んだところがクレーター外周より高く浮かんでいるように感じます。台地…というより、星座にもある「テーブル山」あるいはオーストラリアのエアーズロック(ウルル)みたいです。たった二日間でこんなに見え方が変わるなんて知りませんでした。

実際にこれだけの標高差があって、太陽の当たり方で強調されてしまったのでしょうか?気になったので地形を詳しく調べてみました。下画像はLRO標高データをもとに描いたシミュレーション。バイイを正面から見た地形図になっており、地球の方向は右上です。地形図左下付近は月縁に近すぎてほとんど見えません。画像Aは標高/傾斜を表したもので、低い土地ほど暗い寒色、高い地形ほど明るい暖色にしています。いくらかの山地をつなげれば二重クレーターに見えなくもないですが、中央だけ大規模に盛り上がっている様子はありませんね。また撮影時の条件で日の当たり方をシミュレートすると画像B・Cのようになりました。これをみても特段テーブル山があるように見えないでしょう。

この現象は画像Bの山地マーカーからバイイBに向かう標高の盛り上がりが14日の斜陽で深い影を落とし、更に中央を挟んでバイイBの反対にあるバイイDが少し明るいことで、明暗の錯覚が起きたものと推察されます。たとえばこのNASA記事の画像をご覧になった多くの方は、長い影と雲の明るい部分の位置関係から「この鉄床雲が浮いていて、画面右奥から照らされている」と理解できます。(※実際の画像はPCモニター上の“平面”です。)これと似たような明暗描写があれば、実際は違っていても「浮いている」「段差がある」「丘がある」といった錯覚に陥るでしょう。特に月縁に近い地形は地球から詳細が確認し難く、錯視が起きやすいと言えます。

  • バイイ・標高/傾斜シミュレート

    A.標高/傾斜シミュレート
  • バイイ・陰影シミュレート(2023.08.12)

    B.陰影シミュレート
    (2023.08.12)
  • バイイ・陰影シミュレート(2023.08.14)

    C.陰影シミュレート
    (2023.08.14)


ついでにもう二つ。記事頭の画像に戻って黄色矢印をご覧ください。ここに直線状の地物(?)が見えませんか?初めは画像処理上のアーティファクトと思ったのですが、これは12日・14日とも見えていますし、東田さんの日記の全画像でも確認できます。シミュレートでは画像Bの黄色矢印で挟まれた位置に相当します。断崖とかチェーン・クレーターのようなものが明確に存在するなら納得できますが、見当たりませんね。現段階では謎の地物です。

それから記事頭画像の12日で、シラーとセグナー(ズッキウスの上)に挟まれた位置に、極めて分かりづらい弱いくぼみが見えました。セグナー以上の直径と考えられるので70kmクラスです。ところがここには何の地物名も指定されていません。(※IAU・Gazetteer of Planetary Nomenclatureによる調べ。)これだけ大きいのに名無しとは…。(※下記追記参照のこと。)

ひょっとしてこれも錯視なのかと思い同様に調べたのが下D・E画像。ここは実際に凹んでいるようです。不便なので、ここではシラー・ゴーストと名付けておきます。あらためて全体を見ると二重or三重クレーターになっており、その中心がこのシラー・ゴーストに相当します。溶岩で埋まってしまって縁が全くないクレーターなのかも知れません。ダゲールやラモントのように僅かでも縁が残っていれば気付けますが、これは分かり辛いですね。ドーナツに掛け布団かけて「どこにあるか探し当てたら食べていいよ」と言われるようなものです。ともかく、この地形がどんな過程で作られたか、上弦側でも見えるのかなど、まだまだ興味が尽きません。

  • シラー・ズッキウス・ベイスン・標高/傾斜シミュレート

    D.標高/傾斜シミュレート
  • シラー・ズッキウス・ベイスン・陰影シミュレート

    E.陰影シミュレート
    (2023.08.12)


【追記】
シラーとズッキウスにはさまれたこの領域は「シラー・ズッキウス・ベイスン(盆地)」と呼ばれることを東田さんから教えていただきました(→撮影日記・2023年5月10日参照)。色々資料を見ると、公式な名前ではないようです。(そもそもIAU公式でBasinという地形区分がありません。)オリエンタレ盆地も、「Mare Orientale/オリエンタレ海/東の海」という公式名はあるけれど、外輪山まで含む全体を盆地とする呼び方は非公式のようです。

呼び方はともかく、多重クレーターとして古くから認識されていたようでした。見間違いじゃなくてひと安心。浅いくぼみは満月前でも見えるようですので、挑戦しようと思います。今回の条件を見やすさの基準として年内の予報をすると、おおよそ下記の日時になります。(前後1時間程度は大丈夫と思われます。)

上弦側…8月28日20時ごろ、9月26日22時ごろ、10月26日18時ごろ、11月24日21時ごろ、12月24日17時ごろ

下弦側…9月11日3時ごろ、10月10日5時ごろ、11月9日4時ごろ


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