2025年の真夏日と熱中症 ― 2025/10/29
毎年作っている「真夏日と熱中症搬送人数」のグラフですが、本日に消防庁から9月分の確定値が発表されましたので今年のグラフを完成させました。(元データは気象庁と消防庁。)
毎年のように暑い暑いと言っている夏ですが、今年特別暑いといった傾向は見られません。ただ、日々の微増は総量の記録的増加を促し、真夏日地点数は過去最高の58735地点(のべ)、猛暑日地点数も過去最高の10409地点(のべ)、また熱中症搬送人数も過去最高の100510人(初の10万人超え)、死亡者は117人(過去4位)でした。
また日ごとの記録としては、猛暑日地点数が7月29日に323地点を記録、昨年の8月4日・301地点を抜いて観測史上一位になりました。また真夏日地点数も7月23日の849地点が史上一位でした(2位は2023年7月29日の847地点)。最高気温も7月30日・8月5日・6日にわたって記録更新され、群馬県伊勢崎ポイントの41.8度(8月5日)が現時点でトップです。日本最高気温の日がまた変わってしまいましたね。
世界の平均気温や海面水温も相変わらず右肩上がりで、特にここ10年の上昇率が顕著です(気象庁解説1・気象庁解説2)。世界インフラが壊滅的になるような火山噴火が起こって灰色の空にでもならない限り、人の手でこの上昇を止めるのは無理でしょう。差し当たって「いまの気温が10度上がっても楽しく生きてゆける世界」の再構築を考えたほうが現実的かなと思われます。
本日午前中は日差しがあったので太陽待ちしてましたが、結局ムラの多い雲が取れなくて観察できませんでした。雲には断片的な内暈や光環、彩雲などが見え、なかなか美しい光景を楽しめました。
参考:
アーカイブ:真夏日と熱中症
毎年のように暑い暑いと言っている夏ですが、今年特別暑いといった傾向は見られません。ただ、日々の微増は総量の記録的増加を促し、真夏日地点数は過去最高の58735地点(のべ)、猛暑日地点数も過去最高の10409地点(のべ)、また熱中症搬送人数も過去最高の100510人(初の10万人超え)、死亡者は117人(過去4位)でした。
また日ごとの記録としては、猛暑日地点数が7月29日に323地点を記録、昨年の8月4日・301地点を抜いて観測史上一位になりました。また真夏日地点数も7月23日の849地点が史上一位でした(2位は2023年7月29日の847地点)。最高気温も7月30日・8月5日・6日にわたって記録更新され、群馬県伊勢崎ポイントの41.8度(8月5日)が現時点でトップです。日本最高気温の日がまた変わってしまいましたね。
世界の平均気温や海面水温も相変わらず右肩上がりで、特にここ10年の上昇率が顕著です(気象庁解説1・気象庁解説2)。世界インフラが壊滅的になるような火山噴火が起こって灰色の空にでもならない限り、人の手でこの上昇を止めるのは無理でしょう。差し当たって「いまの気温が10度上がっても楽しく生きてゆける世界」の再構築を考えたほうが現実的かなと思われます。
本日午前中は日差しがあったので太陽待ちしてましたが、結局ムラの多い雲が取れなくて観察できませんでした。雲には断片的な内暈や光環、彩雲などが見え、なかなか美しい光景を楽しめました。
参考:
アーカイブ:真夏日と熱中症
名月が決まらない旧暦2033年問題 ― 2025/10/06
星はそれほどではないけど月を眺めるのは好きと言う人が、私の知り合いだけで3人もいます。(いずれも天文が趣味ではない方々。)夜を煌々と照らす月に惹かれる方は、ひとつの街に何人かいらっしゃるのでしょう。「花が好き」「森が好き」というくらい、日本人には当たり前の感性なのかも知れません。個人的には空気が澄んだ秋に何度お月見しても良いと思うのですが、近年は寧ろ星空にどっぷり浸かりたいガチ天文ファンのほうが月を嫌う傾向がありますね。何という悲しい矛盾でしょうか。
それはさておき、2033年に「中秋の名月の日付を決めることができない」という由々しき事態が起こります。「旧暦2033年問題」と呼ばれるものです。中秋の名月だけでなく、2033年の夏から翌2034年春までの旧暦に関係する一切の日取りが一意に定まりません。例えば我が家にある「月刊住職」2016年1月号には「友引が決まらない旧暦二〇三三年問題」と題して冠婚葬祭の現場が大混乱になるかも知れない状況を憂いた解説記事が載っています。今から10年近くも前に取り上げられてるんですよ。単なる天文界の小さな話題ではなくて、神社仏閣や結婚式場など日本人が日頃関わってる界隈でこそ『大問題』になるのです。
伝統的七夕が遅かったことを取り上げた2025年8月29日記事で、旧暦ルールでは「中気が入らない月を閏月にする」決まりなのを紹介しました。このルールで2033・2034年の旧暦を分割すると記事下A・B図のようになります。中気(★マークの二十四節気)を見て行くと、旧暦七夕の月に必ず含まれる「処暑」まではうまく割り振られているけれど、秋分・霜降・小雪・大寒・春分が立て続けに朔(旧暦の月初め)になります。旧7月の翌月から7ヶ月間をまとめると「中気が1つ入る月が2つ、中気が2つ入る月が2つ、中気が入らない月が3つ」になるのです。これのどこに問題があるのでしょうか。
試しに「中気がなければ閏月」を全部適用すると処暑以降は「7月・閏7月・8月・9月・10月・閏10月前半」で2033年が終わり、2034年は「閏10月後半・11月・閏11月」でやっと春分の前まで来ます。おやおや、旧暦では年末に達してないのにもう春…。こんな非現実な月数では困ってしまいますね。
実は旧暦にもうひとつ大事なルールがあって、「春分を含む月は2月、夏至を含む月は5月、秋分を含む月は8月、冬至を含む月は11月とする」というもの。これは閏月の過不足により二至二分が大きくズレないようアンカーの役割を果たします。つまり問題の期間は「どこを8月/11月/2月にするか」「それに伴いどこに閏月を置くか」の決め手がありません。月の番号を飛ばしたり矛盾させることなく割り振らなければ朔望や六曜(大安や仏滅など)も決められないから、そこにぶら下がる各種行事もいつ行えば良いか決められません。これが2033年問題の本質です。現在も残る旧暦の仕組み(天保暦)になってから初めての出来事でした。
現代日本に「公的に旧暦を定める機関」は存在しません。問題発生まで残り10年を切ってしまったのにいまだ解決策は無く混乱したまま。カレンダー業界も戦々恐々。大きくは国立天文台・暦wikiで述べられている三つの案のどれかを採用するしか無さそうですが、どれを採っても何らかの「特別扱い」にならざるを得ません。もう旧暦をすっぱりと無くしていいんじゃないか、といった強硬意見もちらほら。結婚式やお葬式に大安や友引を気にする人は少数派になりつつありますからね。人の世はゆっくり変わるもの。いつかは変化を受け入れてゆかねばならないし、古い格式や作法にいつまでもこだわったって得することもありません。(回顧主義者はメリットデメリットなんて気にしないと思いますが。)
初詣や七五三、十三参りから冠婚葬祭の日取りに至るまで、歴史や宗教的意義、日取りにまつわる深い由緒をきちんと理解して臨むというより、思い出に刻むための家族行事・季節イベントとして向き合う方も多いと思われます。「旧暦は農業に欠かせない」等のイメージがただの都市伝説で、旧暦はとっくの昔に形骸化していることは1981年刊の理科年表読本「こよみと天文・今昔」(著:内田正男氏)でも既に指摘されていました。なれば、これからの人生の節目に対して、多くの人に受け入れられる「旧暦にとらわれない新しい日本文化」を再構築するのも悪くないでしょう。時期を同じくして閏秒廃止も行われるようですから、暦の仕組みを刷新するのに好都合かも知れませんよ。
どの旧暦特別案を採択するかで2033年の名月や翌年の旧正月の日付が変わりますが、別に満月の回数が増えたりしませんから天文ファンは例年と変わらず過ごすことでしょう。公開天文台などでは複数回の名月観賞が催されるかも知れません。天文年鑑や現象カレンダーはどう書くでしょうか?前年から編纂が始まるので、2030年ごろまでには方針を決めなくちゃなりませんね。5年カレンダーや3年日記帳なども発売される時代だから、実際の業界内混乱はそろそろ始まってるのかも。六曜入りのカレンダーは業者によってかなり異なりそう。残り7、8年を生暖かく見守りましょう。
それはさておき、2033年に「中秋の名月の日付を決めることができない」という由々しき事態が起こります。「旧暦2033年問題」と呼ばれるものです。中秋の名月だけでなく、2033年の夏から翌2034年春までの旧暦に関係する一切の日取りが一意に定まりません。例えば我が家にある「月刊住職」2016年1月号には「友引が決まらない旧暦二〇三三年問題」と題して冠婚葬祭の現場が大混乱になるかも知れない状況を憂いた解説記事が載っています。今から10年近くも前に取り上げられてるんですよ。単なる天文界の小さな話題ではなくて、神社仏閣や結婚式場など日本人が日頃関わってる界隈でこそ『大問題』になるのです。
伝統的七夕が遅かったことを取り上げた2025年8月29日記事で、旧暦ルールでは「中気が入らない月を閏月にする」決まりなのを紹介しました。このルールで2033・2034年の旧暦を分割すると記事下A・B図のようになります。中気(★マークの二十四節気)を見て行くと、旧暦七夕の月に必ず含まれる「処暑」まではうまく割り振られているけれど、秋分・霜降・小雪・大寒・春分が立て続けに朔(旧暦の月初め)になります。旧7月の翌月から7ヶ月間をまとめると「中気が1つ入る月が2つ、中気が2つ入る月が2つ、中気が入らない月が3つ」になるのです。これのどこに問題があるのでしょうか。
試しに「中気がなければ閏月」を全部適用すると処暑以降は「7月・閏7月・8月・9月・10月・閏10月前半」で2033年が終わり、2034年は「閏10月後半・11月・閏11月」でやっと春分の前まで来ます。おやおや、旧暦では年末に達してないのにもう春…。こんな非現実な月数では困ってしまいますね。
実は旧暦にもうひとつ大事なルールがあって、「春分を含む月は2月、夏至を含む月は5月、秋分を含む月は8月、冬至を含む月は11月とする」というもの。これは閏月の過不足により二至二分が大きくズレないようアンカーの役割を果たします。つまり問題の期間は「どこを8月/11月/2月にするか」「それに伴いどこに閏月を置くか」の決め手がありません。月の番号を飛ばしたり矛盾させることなく割り振らなければ朔望や六曜(大安や仏滅など)も決められないから、そこにぶら下がる各種行事もいつ行えば良いか決められません。これが2033年問題の本質です。現在も残る旧暦の仕組み(天保暦)になってから初めての出来事でした。
現代日本に「公的に旧暦を定める機関」は存在しません。問題発生まで残り10年を切ってしまったのにいまだ解決策は無く混乱したまま。カレンダー業界も戦々恐々。大きくは国立天文台・暦wikiで述べられている三つの案のどれかを採用するしか無さそうですが、どれを採っても何らかの「特別扱い」にならざるを得ません。もう旧暦をすっぱりと無くしていいんじゃないか、といった強硬意見もちらほら。結婚式やお葬式に大安や友引を気にする人は少数派になりつつありますからね。人の世はゆっくり変わるもの。いつかは変化を受け入れてゆかねばならないし、古い格式や作法にいつまでもこだわったって得することもありません。(回顧主義者はメリットデメリットなんて気にしないと思いますが。)
初詣や七五三、十三参りから冠婚葬祭の日取りに至るまで、歴史や宗教的意義、日取りにまつわる深い由緒をきちんと理解して臨むというより、思い出に刻むための家族行事・季節イベントとして向き合う方も多いと思われます。「旧暦は農業に欠かせない」等のイメージがただの都市伝説で、旧暦はとっくの昔に形骸化していることは1981年刊の理科年表読本「こよみと天文・今昔」(著:内田正男氏)でも既に指摘されていました。なれば、これからの人生の節目に対して、多くの人に受け入れられる「旧暦にとらわれない新しい日本文化」を再構築するのも悪くないでしょう。時期を同じくして閏秒廃止も行われるようですから、暦の仕組みを刷新するのに好都合かも知れませんよ。
どの旧暦特別案を採択するかで2033年の名月や翌年の旧正月の日付が変わりますが、別に満月の回数が増えたりしませんから天文ファンは例年と変わらず過ごすことでしょう。公開天文台などでは複数回の名月観賞が催されるかも知れません。天文年鑑や現象カレンダーはどう書くでしょうか?前年から編纂が始まるので、2030年ごろまでには方針を決めなくちゃなりませんね。5年カレンダーや3年日記帳なども発売される時代だから、実際の業界内混乱はそろそろ始まってるのかも。六曜入りのカレンダーは業者によってかなり異なりそう。残り7、8年を生暖かく見守りましょう。
【少しだけ深く…】
大昔から研究改良を重ね使われてきた太陰太陽暦。そのなかで現代日本に細々と残っているのは「天保暦」です。1844年(天保15年)から明治5年の太陽暦導入まで公の暦として使われました。一般に日本で旧暦と言ったら天保暦を指します。(※中国などの旧暦はまた違いますからご注意。)更に厳密に言うと、最新の力学で計算した天体運行は旧暦当時の計算法と少し違うため、同じルールで旧暦計算しても当時の暦を正しく再現したとは言えません。当時の暦再現には計算誤差をひっくるめて考える必要があります。
天保暦より前は二十四節気を日割り分割する平気法が使われていました。これだと15.2日ごとに二十四節気がやってきて分かり易い反面、実際の太陽運行とずれてしまう欠点があります。太陽は近日点で速く、遠日点で遅く動くため、一定距離の移動時間にムラがあるからです。
実物の運行に合わせ天保暦からは定気法(太陽視黄経を24等分する)を導入。でもこれはこれで困ったことが起きます。二十四節気の間隔が14日から16日の間で伸び縮みしますから、一般市民は次の節気が予想しにくい→誰かが正しい計算をして暦を配布する必要あるのです。政府お抱え天文技師の重要度が増したと思われます。江戸時代初期から木版印刷による頒暦が流通するようになったそうですが、旧暦の歴史で大事なことは「朝廷や幕府による暦の一元管理」という点ですね。当時の暦の原本などは国会図書館デジタルアーカイブとして新法暦書や新法暦書続編などが残っており、どなたでも閲覧可能です。メチャクチャ面白いのでぜひ解読してみてください。旧暦2033年問題は「地球近日点に近い側(1月初旬を含む前後数ヶ月)では二十四節気の間隔が狭まるため、2節気ぶんの間隔が1朔望月に肉薄して起こった問題」と言い換えることもできるでしょう。
大昔から研究改良を重ね使われてきた太陰太陽暦。そのなかで現代日本に細々と残っているのは「天保暦」です。1844年(天保15年)から明治5年の太陽暦導入まで公の暦として使われました。一般に日本で旧暦と言ったら天保暦を指します。(※中国などの旧暦はまた違いますからご注意。)更に厳密に言うと、最新の力学で計算した天体運行は旧暦当時の計算法と少し違うため、同じルールで旧暦計算しても当時の暦を正しく再現したとは言えません。当時の暦再現には計算誤差をひっくるめて考える必要があります。
天保暦より前は二十四節気を日割り分割する平気法が使われていました。これだと15.2日ごとに二十四節気がやってきて分かり易い反面、実際の太陽運行とずれてしまう欠点があります。太陽は近日点で速く、遠日点で遅く動くため、一定距離の移動時間にムラがあるからです。
実物の運行に合わせ天保暦からは定気法(太陽視黄経を24等分する)を導入。でもこれはこれで困ったことが起きます。二十四節気の間隔が14日から16日の間で伸び縮みしますから、一般市民は次の節気が予想しにくい→誰かが正しい計算をして暦を配布する必要あるのです。政府お抱え天文技師の重要度が増したと思われます。江戸時代初期から木版印刷による頒暦が流通するようになったそうですが、旧暦の歴史で大事なことは「朝廷や幕府による暦の一元管理」という点ですね。当時の暦の原本などは国会図書館デジタルアーカイブとして新法暦書や新法暦書続編などが残っており、どなたでも閲覧可能です。メチャクチャ面白いのでぜひ解読してみてください。旧暦2033年問題は「地球近日点に近い側(1月初旬を含む前後数ヶ月)では二十四節気の間隔が狭まるため、2節気ぶんの間隔が1朔望月に肉薄して起こった問題」と言い換えることもできるでしょう。
2025年の地球自転最速日が確定 ― 2025/09/13
7月7日に「今年の地球最速日はいつになるかな?」と題した記事を書きました。どうやら決まったようです。
地球の自転は日々様々な要因で24時間からずれます。そのひとつがブレーキの役割を担う月の引力。月は地球赤道面に対して28°あまり傾いた楕円軌道を公転します。1周する一ヶ月弱の間に地球赤道面から北または南に最も外れたとき、また地球から最も遠いとき(遠地点通過)、ブレーキが弱まって地球が速く回る(一日が24時間より短くなる)ことになります。
これに加え同様の効果を持つ太陽引力の年変動もあるため、1年間で考えると6-8月のどこか(地球が太陽から離れる時期)、月赤緯が南北に最も離れるタイミングで「地球最速日=LOD最小日」を迎えるのです。(※LODとはLength of Day:1日の実測長の略。24時間との差という意味で使われることも多い。)
天文やカレンダーに関するサイトTimeanddate.comに今年掲載された「地球最速の日」の記事には7月9日(または10日)、7月22日、8月5日(または6日)の3種の「最速日」候補が掲載されました。それぞれに対応する月の赤緯極値は以下の通り。
実際に自転を測定・管理するのは国際地球回転・基準系事業(IERS/INTERNATIONAL EARTH ROTATION AND REFERENCE SYSTEMS SERVICE)です。IERSは毎日LODを公開していますが、約一ヶ月前のぶんまでなので、上記の予報のどれになるかは9月二週目頃まで待つ必要がありました。
記事冒頭のグラフは9月13日夜半に発表された6月10日以8月13日までのLODをプロットしたもの。オレンジ丸印が予報された日です。どうやら7月9日UTが最速日だったようですね。このデータは数年間の較正を経て修正されることもあるけれど微量なので、順位が入れ替わることは無いでしょう。
話は変わりますが、こうしたLODのずれが閏秒につながるため、自転の速い遅いがごく稀に一般ニュースにも取り上げられます。ところが何としたことか、今年はこの地球最速のニュースをとてもたくさん見つけました。これと言って派手な内容ではないし、世間の関心も少ないでしょう。毎年この手のニュースが幾つあったか保存して調べていますが、過去2022年に地球自転が史上最速になった時にニュース数が少し増えただけでした。今年は当時の3、4倍くらいありました。内容を辿ると同じ提供会社に行き着くこともあるので全部のニュースが独立してる訳ではないにしても、多すぎました。一ヶ月くらい過ぎてから再報道、というのも最近のパターンです。
ちなみに過去一番自転が速かったのは去年2024年7月5日(右上図参照)なのですが、この報道は皆無。今年は更新してないどころか、2020年以降では二番目に遅い「地球最速」です。特筆すべきことがないのに多くの報道が飛び交った理由が分かりません。
聞くところによると最近のニュース配信はネタをAIに取捨選択・プライオリティー付与を行わせるところも多いようです。分野を広げようとすると人手が足りなくなるのでしょうか。「あの会社が取り上げたら、ウチも負けずに取り上げる」という競争をAIに組み入れてるのかな?人件費を減らしつつ広告収入を最大値にするといった目標のためにAIを動かしているのかな?
もしこれが本当だとしたら…人間の頭を通さずAIが判断した流行り廃りでタイトルが埋まって行く社会って、一見「公平な判断」で成り立つようにも思えるけれど、誰も意図しない、責任の所在すらはっきりしないバーチャルプロパガンダが生まれかねませんよね。地球最速日のニュースを読んでいただけなのに、(特に専門外の)人が得る情報が知らぬ間に偏ってゆく恐ろしさを感じてしまいました。
地球の自転は日々様々な要因で24時間からずれます。そのひとつがブレーキの役割を担う月の引力。月は地球赤道面に対して28°あまり傾いた楕円軌道を公転します。1周する一ヶ月弱の間に地球赤道面から北または南に最も外れたとき、また地球から最も遠いとき(遠地点通過)、ブレーキが弱まって地球が速く回る(一日が24時間より短くなる)ことになります。
これに加え同様の効果を持つ太陽引力の年変動もあるため、1年間で考えると6-8月のどこか(地球が太陽から離れる時期)、月赤緯が南北に最も離れるタイミングで「地球最速日=LOD最小日」を迎えるのです。(※LODとはLength of Day:1日の実測長の略。24時間との差という意味で使われることも多い。)
天文やカレンダーに関するサイトTimeanddate.comに今年掲載された「地球最速の日」の記事には7月9日(または10日)、7月22日、8月5日(または6日)の3種の「最速日」候補が掲載されました。それぞれに対応する月の赤緯極値は以下の通り。
- 2025-07-09 06:29:47 UTC、7月の最小赤緯:-28.4225°
- 2025-07-22 10:03:07 UTC、7月の最大赤緯:28.4709°
- 2025-08-05 14:05:43 UTC、8月の最小赤緯:-28.5303°
実際に自転を測定・管理するのは国際地球回転・基準系事業(IERS/INTERNATIONAL EARTH ROTATION AND REFERENCE SYSTEMS SERVICE)です。IERSは毎日LODを公開していますが、約一ヶ月前のぶんまでなので、上記の予報のどれになるかは9月二週目頃まで待つ必要がありました。
記事冒頭のグラフは9月13日夜半に発表された6月10日以8月13日までのLODをプロットしたもの。オレンジ丸印が予報された日です。どうやら7月9日UTが最速日だったようですね。このデータは数年間の較正を経て修正されることもあるけれど微量なので、順位が入れ替わることは無いでしょう。
★ ★ ★ ★ ★
話は変わりますが、こうしたLODのずれが閏秒につながるため、自転の速い遅いがごく稀に一般ニュースにも取り上げられます。ところが何としたことか、今年はこの地球最速のニュースをとてもたくさん見つけました。これと言って派手な内容ではないし、世間の関心も少ないでしょう。毎年この手のニュースが幾つあったか保存して調べていますが、過去2022年に地球自転が史上最速になった時にニュース数が少し増えただけでした。今年は当時の3、4倍くらいありました。内容を辿ると同じ提供会社に行き着くこともあるので全部のニュースが独立してる訳ではないにしても、多すぎました。一ヶ月くらい過ぎてから再報道、というのも最近のパターンです。
ちなみに過去一番自転が速かったのは去年2024年7月5日(右上図参照)なのですが、この報道は皆無。今年は更新してないどころか、2020年以降では二番目に遅い「地球最速」です。特筆すべきことがないのに多くの報道が飛び交った理由が分かりません。
聞くところによると最近のニュース配信はネタをAIに取捨選択・プライオリティー付与を行わせるところも多いようです。分野を広げようとすると人手が足りなくなるのでしょうか。「あの会社が取り上げたら、ウチも負けずに取り上げる」という競争をAIに組み入れてるのかな?人件費を減らしつつ広告収入を最大値にするといった目標のためにAIを動かしているのかな?
もしこれが本当だとしたら…人間の頭を通さずAIが判断した流行り廃りでタイトルが埋まって行く社会って、一見「公平な判断」で成り立つようにも思えるけれど、誰も意図しない、責任の所在すらはっきりしないバーチャルプロパガンダが生まれかねませんよね。地球最速日のニュースを読んでいただけなのに、(特に専門外の)人が得る情報が知らぬ間に偏ってゆく恐ろしさを感じてしまいました。
『あまのかわ』か?『あまのがわ』か? ― 2025/08/08
いつも楽しませていただいてる天リフ作業配信で、二日にわたって話題になった「あまのがわ」と「あまのかわ」(8月6日配信、および8月7日配信)。私は「がわ」を使いますが、美しい川のニュアンスを活かす「かわ」派の山口さんにも激しく同意します。実は全く同じ理由で星月夜や初月を「ほしつきよ」「はつつき」と濁点無しで読んでいました(※一人のときに限る)。ちなみにルビ付きで表記される学研キッズネットでは「あまのがわ」でした。たぶん子どもたちは川よりも天の訓読みのほうが耳慣れないでしょう。
こんな狭い島国なのに多様な方言や発音の癖が共存する、それが日本です。標準語・共通語は正誤を判断するためではありません。明らかな言い間違え以外は、どんな表記や発音でも意味を持ち、素晴らしく感じます。天文ことばの読みや発声に関しては様々な思いや苦労を経験してきたので、今回はそのお話し。
プラネ解説や番組制作を統括していた若いころ、曖昧に済ませられないことが多々ありました。現代プラネは大きく二つの投影法…スタッフによる生解説(ライブトーク番組)と、前もって記録された演出を観客に見せる劇場タイプ(オート番組)があります。オート番組が可能な施設はバックヤードに複雑な機器を仕込んでますので大型館が多いです。生番組なら言い間違えても(気付けば)その場で訂正できますが、ナレーションやBGMを作り込んだオートでは不可能。事前の録音スタジオで修正を完結させなくてはならず、シナリオ執筆からスタジオ作業まで一言一句に神経を使いました。アニメや映画アフレコと違い、収録と編集は半日で終わらせます。有名声優さんの起用が多かったけれど、声が良くても発音の癖があるし、事前読み合わせ無しだから堂々と「そとわくせい」「おうどうじゅうにきゅう」と言っちゃうくらい用語を知らないため、あらかじめルビを振ったり、現場での適切なディレクションが欠かせません。
オート番組は投影された星空の下でラジオを聴くようなもの。暗順応を考慮してドームに文字を出す演出は極力減らすので、音声だけで理解してもらう必要があります。日本語は同音異義語が多いため、シナリオ完成前に自分で音読し、誰かに耳だけで聞いてもらう「耳校正」もしました。ある生解説で「みんな、星座って知ってる?」と聞いたとき、一斉に姿勢を正したのは笑い話。こどもたちが先に思い浮かべるのは「正座」なんですね。大人でも「えいせい」→「衛星/衛生」、「せいけい」→「星景/星系」を区別できないことがあるでしょう。
山口さんのお話に出ていた佐藤勲さんの外国語発音調査も理解はできます。ただ、例えば彗星を発見した「Pajdušáková」さんの発音を聞いた全ての人が「パイドゥシャーコヴァー」とカタカナ変換するかと言ったら難しいでしょう。私は視覚的にパジュサコバで覚えてしまい、多分もう変えられません。最後の伸ばし音もコンピューター/コンピュータ、プロバイダー/プロバイダといった差に近くて微妙です。「こう聞こえる」というのは人によって変わるから、発音と表記は分けて考えたほうが良さそう。また科学館・博物館関係の仕事では解説書やリーフレット、案内板などを編纂することも多く、発音をどのようにルビやローマ字+英字表記に落とし込むか、といった問題も出てきます。日本人が普段発声できない音は尚更難しい。
アトラスは正式表記が「ATLAS」(Asteroid Terrestrial-impact Last Alert Systemのイニシャルなので全て大文字)ですが、カタカナ表記やAtlasなど小文字交じりも見かけました。NEATやPanSTARRS(これは大文字小文字が混在)のようにカタカナに直すほうがメジャーな表現になる場合もあれば、SOHO彗星を「ソーホー彗星」とわざわざ書き直してややこしくなった例もあります。153P/Ikeya-Zhangは池谷・張彗星が一般的表記ながら、Zhangは「ちゃん」読みと「ちょう」読みが混在してました。漢字が入ると日本人として混乱しますよね。書き言葉では「チャーン」「チャン」に近いけれど、発声は「ヂャーン」「ヂャン」が近いです。そう言えば天体カメラでお馴染みのZWO社は「Zhen Wang Optics」ですが、みなさんならどうカタカナ化しますか?
カシオペア座はラテン語表記で「Cassiopeia」。かつて使われた「カッシオペイア」「カシオペイヤ」はあまり聞かなくなり、「カシオペヤ」または「カシオペア」が多くなりました。日本天文学会ではカシオペヤ、JRの寝台特急はカシオペア、バンド名もカシオペア。ペガスス/ペガサス問題、ヘルクレス/ヘラクレス問題、プレアデス/プレヤデス問題も業界では有名で、根深い問題。天文界よりずっと影響が大きいアニメや漫画、映画、ゲームではペガサスやヘラクレスが多用されるため、天文界だけはでどうにもできないんです。小学校に入る前からみんな聞いて知ってますからね。
「ε」イプシロンを耳で聞いてカタカナに直すと「エプサイラーン」か「エプシラン」に近いです。発音記号は「épsəlɑ̀n」(米語)または「epsáilən」(英語)ですから、間違いなく卵のeggと同じ「エ」で始まり、最後はタマネギのonionと同じ「アン」で終わります(※オニオンはNG、アニァンに近い)。これだけでも発音と表記は別物と感じませんか?高橋製作所の表記はともかく、ギリシャ文字のεは「エプシロン」や「エプシラン」で何の違和感も感じません。むしろ「イプシロン」のほうが違和感マシマシ。(※英語版wikiに発音音声あり。)
印刷物やwebサイトでは長音を表すマクロン表記(ōやūなど)が使えない場合もあってややこしい。メジャーなTokyoやKyotoならマクロン無しでも「ときょ」「きょと」とは読まないでしょうが、Onoさんと書くと「大野」さんなのか「小野」さんか分からず、はたまた「王野」や「尾能」の可能性もあって区別できません。パスポートやキャッシュカードを作るとき困りますね。
日本語固有名と英語の混合単語もローマ字化するとき混乱が生じます。私の生まれ故郷に一級河川「天の川」があるんですが、ローマ字では「Tennokawa」。これを「Tennokawa River」とするのが良いのか「Tenno River」や「Ten River」が良いのか、今も分からないです。琵琶湖も「Lake Biwa」が」国交省の表記で「Lake Biwako」は少ないけれど、区切らない「びわこ」で固有名詞が成立してる気もします。富士山は「Mt. Fujisan」がNGなのに、なぜ槍ケ岳は「Mt. Yarigatake」がOK?しかも乗鞍岳は「Mt. Norikuradake」じゃなく「Mt. Norikura」が推奨される?摩訶不思議だぁ。
今はどうなのか知りませんが、私が何人かの小学生たちから聞いた愚痴では、テストで「夏の大三角」と書くとダメなんだそうです。三角形まで書かなければいけないなんて、いかにも義務教育らしいですが理不尽ですね。かと言って、学校で大三角形と教わった子達がテストに受かり、プラネ解説者から「大三角でも良いんだよ」と教わった子達が不合格になるのもかわいそう。幼児さんでも早ければ工作やお歌の時間に「まる、さんかく、しかく」と覚えるんです。「そんな出題するなよ」と言いたい…。
教科書に存在しない「夏の大三角」「冬の大三角」といった表記が天文書籍にたくさん出てます。いっぽう秋は「四辺形」であって、「秋の四角形」や「秋の大四角」は見当たりません。このような曖昧さは、一律に教えたい学校の先生として疎ましく思うのでしょう。アマチュア層が多い天文分野では「用語ぶれが収拾つかないのは、天文アマチュアが乱用したり勝手に造語するせいだ」という乱暴な意見がありますが、反論できない面は確かにあるでしょう。これを「言葉の多様性」とか「表現の自由」、「言葉は時代で変わる」といった言い訳で逃げたら、自分は良くても子どもたちを困らせるだけ。各々が何とかしようと意識しない限り、ことばの問題は永遠に収束しませんから。「真実はいつもひとつ」とコナンくんみたいに教えるより、色々な正解があって当然なんだよって伝えたいですね。
私は「あまのがわ」も「あまのかわ」も、どっちも好きです。
こんな狭い島国なのに多様な方言や発音の癖が共存する、それが日本です。標準語・共通語は正誤を判断するためではありません。明らかな言い間違え以外は、どんな表記や発音でも意味を持ち、素晴らしく感じます。天文ことばの読みや発声に関しては様々な思いや苦労を経験してきたので、今回はそのお話し。
★耳から入る言葉は文字と違う
一般向け、特に知識面で真っ白なこどもたちを相手にする場合、教える側に重い責任が伴います。義務教育課程の先生だけでも70万人くらいいらっしゃいますから多少のアクセント違いや方言は許容するとしても、数値や用語、言い方など知識の根幹は注意深くなるべき。一人の先生の一言の間違いが何百、何千人という単位で伝わってしまうからです。ネット配信者のみなさん、フォロワー数よりも誤発言を気にしたほうが良いですよ。プラネ解説や番組制作を統括していた若いころ、曖昧に済ませられないことが多々ありました。現代プラネは大きく二つの投影法…スタッフによる生解説(ライブトーク番組)と、前もって記録された演出を観客に見せる劇場タイプ(オート番組)があります。オート番組が可能な施設はバックヤードに複雑な機器を仕込んでますので大型館が多いです。生番組なら言い間違えても(気付けば)その場で訂正できますが、ナレーションやBGMを作り込んだオートでは不可能。事前の録音スタジオで修正を完結させなくてはならず、シナリオ執筆からスタジオ作業まで一言一句に神経を使いました。アニメや映画アフレコと違い、収録と編集は半日で終わらせます。有名声優さんの起用が多かったけれど、声が良くても発音の癖があるし、事前読み合わせ無しだから堂々と「そとわくせい」「おうどうじゅうにきゅう」と言っちゃうくらい用語を知らないため、あらかじめルビを振ったり、現場での適切なディレクションが欠かせません。
オート番組は投影された星空の下でラジオを聴くようなもの。暗順応を考慮してドームに文字を出す演出は極力減らすので、音声だけで理解してもらう必要があります。日本語は同音異義語が多いため、シナリオ完成前に自分で音読し、誰かに耳だけで聞いてもらう「耳校正」もしました。ある生解説で「みんな、星座って知ってる?」と聞いたとき、一斉に姿勢を正したのは笑い話。こどもたちが先に思い浮かべるのは「正座」なんですね。大人でも「えいせい」→「衛星/衛生」、「せいけい」→「星景/星系」を区別できないことがあるでしょう。
★統一と言う難題
ちょうど現役のころに業界で星の名(表記/発音)を統一しようとワーキンググループができました。でも用語って天文界で閉じてる訳ではないのが厄介。例えば星や星座の名称は理科で扱うので、直接天文に関わらない教育界や出版業界とも摺り合わせが必要でしょう。国内では日本天文学会の表記や理科年表など公的資料に従うことが暗黙になってるけれど、すべてのことばが網羅できている訳ではないし、現場は必ずしも統一できない現状です。用語の善し悪し以前に、プラネ館の方針、解説者のポリシーや癖、あるいは「当地域はこの発音が多い」といったローカルルールもかなり支配的。公立館でも教育課付属と観光課付属とでは使える言葉が違うといったケースも経験しました。かつて使われてた「関東は惑星、関西は遊星」みたいな大きな違いは統一化で減ったでしょうが、小さな差異は今後も残り続けるでしょうし、消す必要もないとも思います。山口さんのお話に出ていた佐藤勲さんの外国語発音調査も理解はできます。ただ、例えば彗星を発見した「Pajdušáková」さんの発音を聞いた全ての人が「パイドゥシャーコヴァー」とカタカナ変換するかと言ったら難しいでしょう。私は視覚的にパジュサコバで覚えてしまい、多分もう変えられません。最後の伸ばし音もコンピューター/コンピュータ、プロバイダー/プロバイダといった差に近くて微妙です。「こう聞こえる」というのは人によって変わるから、発音と表記は分けて考えたほうが良さそう。また科学館・博物館関係の仕事では解説書やリーフレット、案内板などを編纂することも多く、発音をどのようにルビやローマ字+英字表記に落とし込むか、といった問題も出てきます。日本人が普段発声できない音は尚更難しい。
★発音と表記のバリエーション
彗星名など発音と表記のバリエーションが色々あり過ぎてムリゲーですね。昨年に天文界を湧かせた「C/2023 A3」は「紫金山アトラス彗星」「ツーチンシャン・アトラス彗星」「Tsuchinshan-ATLAS彗星」どれも間違いではありません。紫金山とアトラスは「-」ハイフンで区切るのが国際天文学連合の流儀ですが、日本の雑誌や広報ではマイナス記号や長音記号との誤解を避けるため「・」中点が使われます。紫金山は「しきんざん」「つーちんしゃん」どちらのルビも存在しますが、「Tsuchinshan」をローマ字読みすると「つちんしゃん」なので、メインターゲットが小学生なら、迷わず私は「しきんざんあとらす」と発声するでしょう。アトラスは正式表記が「ATLAS」(Asteroid Terrestrial-impact Last Alert Systemのイニシャルなので全て大文字)ですが、カタカナ表記やAtlasなど小文字交じりも見かけました。NEATやPanSTARRS(これは大文字小文字が混在)のようにカタカナに直すほうがメジャーな表現になる場合もあれば、SOHO彗星を「ソーホー彗星」とわざわざ書き直してややこしくなった例もあります。153P/Ikeya-Zhangは池谷・張彗星が一般的表記ながら、Zhangは「ちゃん」読みと「ちょう」読みが混在してました。漢字が入ると日本人として混乱しますよね。書き言葉では「チャーン」「チャン」に近いけれど、発声は「ヂャーン」「ヂャン」が近いです。そう言えば天体カメラでお馴染みのZWO社は「Zhen Wang Optics」ですが、みなさんならどうカタカナ化しますか?
カシオペア座はラテン語表記で「Cassiopeia」。かつて使われた「カッシオペイア」「カシオペイヤ」はあまり聞かなくなり、「カシオペヤ」または「カシオペア」が多くなりました。日本天文学会ではカシオペヤ、JRの寝台特急はカシオペア、バンド名もカシオペア。ペガスス/ペガサス問題、ヘルクレス/ヘラクレス問題、プレアデス/プレヤデス問題も業界では有名で、根深い問題。天文界よりずっと影響が大きいアニメや漫画、映画、ゲームではペガサスやヘラクレスが多用されるため、天文界だけはでどうにもできないんです。小学校に入る前からみんな聞いて知ってますからね。
「ε」イプシロンを耳で聞いてカタカナに直すと「エプサイラーン」か「エプシラン」に近いです。発音記号は「épsəlɑ̀n」(米語)または「epsáilən」(英語)ですから、間違いなく卵のeggと同じ「エ」で始まり、最後はタマネギのonionと同じ「アン」で終わります(※オニオンはNG、アニァンに近い)。これだけでも発音と表記は別物と感じませんか?高橋製作所の表記はともかく、ギリシャ文字のεは「エプシロン」や「エプシラン」で何の違和感も感じません。むしろ「イプシロン」のほうが違和感マシマシ。(※英語版wikiに発音音声あり。)
★表記の仕方も右往左往
最近ニュースで「文化庁が小学校で習うローマ字表記を従来の訓令式からヘボン式に移行予定」と聞いて驚きました。(※方針が示されただけで施行はまだ先。)みなさんはPCで日本語入力の際、ローマ字入力を使ってまか?富士山なら「fujisan」「huzisan」「fuzisann」「hudisann」どれですか?FEPによっても変わると思います。まぁPC入力はいいとして、ローマ字表記の混乱っぷりは今更言うまでもありません。- 「きょしちょう座」………訓令式なら「kyosityō」、ヘボン式なら「kyoshicho」
- 「ちょうこくしつ座」………訓令式なら「tyōkokusitu」、ヘボン式なら「chokokushitsu」
印刷物やwebサイトでは長音を表すマクロン表記(ōやūなど)が使えない場合もあってややこしい。メジャーなTokyoやKyotoならマクロン無しでも「ときょ」「きょと」とは読まないでしょうが、Onoさんと書くと「大野」さんなのか「小野」さんか分からず、はたまた「王野」や「尾能」の可能性もあって区別できません。パスポートやキャッシュカードを作るとき困りますね。
日本語固有名と英語の混合単語もローマ字化するとき混乱が生じます。私の生まれ故郷に一級河川「天の川」があるんですが、ローマ字では「Tennokawa」。これを「Tennokawa River」とするのが良いのか「Tenno River」や「Ten River」が良いのか、今も分からないです。琵琶湖も「Lake Biwa」が」国交省の表記で「Lake Biwako」は少ないけれど、区切らない「びわこ」で固有名詞が成立してる気もします。富士山は「Mt. Fujisan」がNGなのに、なぜ槍ケ岳は「Mt. Yarigatake」がOK?しかも乗鞍岳は「Mt. Norikuradake」じゃなく「Mt. Norikura」が推奨される?摩訶不思議だぁ。
今はどうなのか知りませんが、私が何人かの小学生たちから聞いた愚痴では、テストで「夏の大三角」と書くとダメなんだそうです。三角形まで書かなければいけないなんて、いかにも義務教育らしいですが理不尽ですね。かと言って、学校で大三角形と教わった子達がテストに受かり、プラネ解説者から「大三角でも良いんだよ」と教わった子達が不合格になるのもかわいそう。幼児さんでも早ければ工作やお歌の時間に「まる、さんかく、しかく」と覚えるんです。「そんな出題するなよ」と言いたい…。
教科書に存在しない「夏の大三角」「冬の大三角」といった表記が天文書籍にたくさん出てます。いっぽう秋は「四辺形」であって、「秋の四角形」や「秋の大四角」は見当たりません。このような曖昧さは、一律に教えたい学校の先生として疎ましく思うのでしょう。アマチュア層が多い天文分野では「用語ぶれが収拾つかないのは、天文アマチュアが乱用したり勝手に造語するせいだ」という乱暴な意見がありますが、反論できない面は確かにあるでしょう。これを「言葉の多様性」とか「表現の自由」、「言葉は時代で変わる」といった言い訳で逃げたら、自分は良くても子どもたちを困らせるだけ。各々が何とかしようと意識しない限り、ことばの問題は永遠に収束しませんから。「真実はいつもひとつ」とコナンくんみたいに教えるより、色々な正解があって当然なんだよって伝えたいですね。
私は「あまのがわ」も「あまのかわ」も、どっちも好きです。









