紫金山・アトラス彗星、8万年周期説 ― 2024/10/24
『8万年後に再び会いましょう…』。いまだに紫金山・アトラス彗星(C/2023 A3)についてこう書かれる報道が絶えないのは、遥かなる旅路に哀愁や郷愁といったものを込めたドラマチックな表現が人を惹き付けるからかも知れません。ハレー彗星ブームの頃も、やたら「一生に一度あるかないか」といったPRが耳に付きましたね。
それはともかく、「TA彗星が8万年の周期を持つ」という言い回しを根も葉もない都市伝説で片づけるのは、いささかやり過ぎではないかと感じます。名だたる広報機関が根拠も無く記事を書くはずがありません。AIが記事を生成する時代になりましたが、開示前にはまだ人手を使ったファクトチェックがあるでしょう。では8万年説はどこに根拠があったのか?こういうことを調べると、情報の流れや人の関心・無関心の動きが分かり、群集心理の面白さや脆さが味わえると思いますよ。
前提知識として、太陽のような「圧倒的に重いものの周囲を公転する天体は楕円運動、放物線運動、双曲線運動のいずれかになる」ということがありますね(左上図)。これらはその軌道を一意に決定する「軌道要素」のなかの、離心率(e:eccentricity)と近日点距離(q:perihelion distance)のふたつが決まれば形が定まります。eが1より小さいと全て楕円軌道になりますから、周期を求めることができます。
今日現在の小惑星センター(MPC:Minor Planet Center)によるTA彗星ではq:0.391422(AU)、e:1.000092(単位無し)になっています。つまり放物線より僅かに開いた双曲線です。放物線と双曲線は二度と太陽に接近しない軌道ですから、「8万年なんてデタラメだ」と酷い言われようになってしまったのです。
でも待ってください。最初からこの値だったのでしょうか?2024年10月5日記事に書きましたが、もうすぐ太陽観測衛星SOHO写野に現れる予定のクロイツ群・ATLAS彗星(C/2024 S1/右図)も、最初は軌道要素が二転三転しました。「太陽に近い」「地平線すれすれ」といった理由で正確な初期観測が集まりにくい天体の軌道はなかなか決められないため、小惑星センターからの修正発表の度に値が変わってしまうのは周知の事実(少なくとも彗星観測家にとっては)。でもこれは天体に詳しくない方にとって「知らなくても当然」なのでしょう。
TA彗星の最初期の告知は、多分MPCのこの情報、またはCBETのこの情報と思われます。私は2023年3月初めに後者で知りました。いずれもqは0.391より小さく、eも0.9999を下回るので、とても細長いけれど立派な楕円軌道で、これは大化けするかも、と期待したものです。
実はこのqとeの微妙な値が8万年説のきっかけになったのだろうと思われます。今日のqを使って8万年になるeを探すと、0.999995107225…あたりになります。初期の軌道要素データセットのどの時期に8万年と計算されたかは分かりませんが、2023年前半ごろは長周期彗星として計算されていただろうことは容易に想像できます。巡り巡ってNASAのブログにも80000yearsと書かれていますから、「NASAが言うんだから間違いない」とAIニュースエンジンやこたつ記事ライターが取り上げてしまうのも仕方ないことでしょう。根も葉もない都市伝説じゃないんです。NASAブログの最下部に編集部注釈として「軌道要素が変わり、8万年という表現はもう古い」という旨が書き添えてあるのは良心的です。この一言がほとんどの広報に無いため、多くの人が「軌道は確定的なもの」と誤解してしまうんですね。
もう少し深掘りすると、現在の軌道も確定されたものでは無いし、未来の軌道要素も分からないから周期彗星にならないと言う保証もないんです。JPL-HORIZONSという計算サイトには「軌道要素の振動(ブレ具合)」を概算する機能があって、惑星や小惑星など太陽以外の影響による「摂動」で軌道要素が短期的に変わる様を予想することができます。これをTA彗星でやってみると下図のようになります。A図は離心率と近日点距離の振動を2075年まで概算したもので、eが明らかに1.0を下回る期間がありますね。この期間は周期が計算できますからB図が描けます。8万年ほどではないけれど、50万年くらいまで軌道が閉じる期間があります。あくまで計算上ですから実際どうなるかは神のみぞ知ること。ですが、天体軌道とはこうも柔らかいものなのだと言うことを知っておいて欲しいのです。8万年説を切り捨てるかどうかは自由だけれど、観測者と研究者が力を合わせ、ある時期に出した結論であったことは事実。それを頭ごなしに否定するのはいかがなものでしょうか。黒歴史(?)の無い人などいないでしょうが、諸々を経て今があるんですから。
それはともかく、「TA彗星が8万年の周期を持つ」という言い回しを根も葉もない都市伝説で片づけるのは、いささかやり過ぎではないかと感じます。名だたる広報機関が根拠も無く記事を書くはずがありません。AIが記事を生成する時代になりましたが、開示前にはまだ人手を使ったファクトチェックがあるでしょう。では8万年説はどこに根拠があったのか?こういうことを調べると、情報の流れや人の関心・無関心の動きが分かり、群集心理の面白さや脆さが味わえると思いますよ。
前提知識として、太陽のような「圧倒的に重いものの周囲を公転する天体は楕円運動、放物線運動、双曲線運動のいずれかになる」ということがありますね(左上図)。これらはその軌道を一意に決定する「軌道要素」のなかの、離心率(e:eccentricity)と近日点距離(q:perihelion distance)のふたつが決まれば形が定まります。eが1より小さいと全て楕円軌道になりますから、周期を求めることができます。
今日現在の小惑星センター(MPC:Minor Planet Center)によるTA彗星ではq:0.391422(AU)、e:1.000092(単位無し)になっています。つまり放物線より僅かに開いた双曲線です。放物線と双曲線は二度と太陽に接近しない軌道ですから、「8万年なんてデタラメだ」と酷い言われようになってしまったのです。
でも待ってください。最初からこの値だったのでしょうか?2024年10月5日記事に書きましたが、もうすぐ太陽観測衛星SOHO写野に現れる予定のクロイツ群・ATLAS彗星(C/2024 S1/右図)も、最初は軌道要素が二転三転しました。「太陽に近い」「地平線すれすれ」といった理由で正確な初期観測が集まりにくい天体の軌道はなかなか決められないため、小惑星センターからの修正発表の度に値が変わってしまうのは周知の事実(少なくとも彗星観測家にとっては)。でもこれは天体に詳しくない方にとって「知らなくても当然」なのでしょう。
TA彗星の最初期の告知は、多分MPCのこの情報、またはCBETのこの情報と思われます。私は2023年3月初めに後者で知りました。いずれもqは0.391より小さく、eも0.9999を下回るので、とても細長いけれど立派な楕円軌道で、これは大化けするかも、と期待したものです。
実はこのqとeの微妙な値が8万年説のきっかけになったのだろうと思われます。今日のqを使って8万年になるeを探すと、0.999995107225…あたりになります。初期の軌道要素データセットのどの時期に8万年と計算されたかは分かりませんが、2023年前半ごろは長周期彗星として計算されていただろうことは容易に想像できます。巡り巡ってNASAのブログにも80000yearsと書かれていますから、「NASAが言うんだから間違いない」とAIニュースエンジンやこたつ記事ライターが取り上げてしまうのも仕方ないことでしょう。根も葉もない都市伝説じゃないんです。NASAブログの最下部に編集部注釈として「軌道要素が変わり、8万年という表現はもう古い」という旨が書き添えてあるのは良心的です。この一言がほとんどの広報に無いため、多くの人が「軌道は確定的なもの」と誤解してしまうんですね。
もう少し深掘りすると、現在の軌道も確定されたものでは無いし、未来の軌道要素も分からないから周期彗星にならないと言う保証もないんです。JPL-HORIZONSという計算サイトには「軌道要素の振動(ブレ具合)」を概算する機能があって、惑星や小惑星など太陽以外の影響による「摂動」で軌道要素が短期的に変わる様を予想することができます。これをTA彗星でやってみると下図のようになります。A図は離心率と近日点距離の振動を2075年まで概算したもので、eが明らかに1.0を下回る期間がありますね。この期間は周期が計算できますからB図が描けます。8万年ほどではないけれど、50万年くらいまで軌道が閉じる期間があります。あくまで計算上ですから実際どうなるかは神のみぞ知ること。ですが、天体軌道とはこうも柔らかいものなのだと言うことを知っておいて欲しいのです。8万年説を切り捨てるかどうかは自由だけれど、観測者と研究者が力を合わせ、ある時期に出した結論であったことは事実。それを頭ごなしに否定するのはいかがなものでしょうか。黒歴史(?)の無い人などいないでしょうが、諸々を経て今があるんですから。