名月が決まらない旧暦2033年問題2025/10/06

20240917中秋の名月
星はそれほどではないけど月を眺めるのは好きと言う人が、私の知り合いだけで3人もいます。(いずれも天文が趣味ではない方々。)夜を煌々と照らす月に惹かれる方は、ひとつの街に何人かいらっしゃるのでしょう。「花が好き」「森が好き」というくらい、日本人には当たり前の感性なのかも知れません。個人的には空気が澄んだ秋に何度お月見しても良いと思うのですが、近年は寧ろ星空にどっぷり浸かりたいガチ天文ファンのほうが月を嫌う傾向がありますね。何という悲しい矛盾でしょうか。

それはさておき、2033年に「中秋の名月の日付を決めることができない」という由々しき事態が起こります。「旧暦2033年問題」と呼ばれるものです。中秋の名月だけでなく、2033年の夏から翌2034年春までの旧暦に関係する一切の日取りが一意に定まりません。例えば我が家にある「月刊住職」2016年1月号には「友引が決まらない旧暦二〇三三年問題」と題して冠婚葬祭の現場が大混乱になるかも知れない状況を憂いた解説記事が載っています。今から10年近くも前に取り上げられてるんですよ。単なる天文界の小さな話題ではなくて、神社仏閣や結婚式場など日本人が日頃関わってる界隈でこそ『大問題』になるのです。

伝統的七夕が遅かったことを取り上げた2025年8月29日記事で、旧暦ルールでは「中気が入らない月を閏月にする」決まりなのを紹介しました。このルールで2033・2034年の旧暦を分割すると記事下A・B図のようになります。中気(★マークの二十四節気)を見て行くと、旧暦七夕の月に必ず含まれる「処暑」まではうまく割り振られているけれど、秋分・霜降・小雪・大寒・春分が立て続けに朔(旧暦の月初め)になります。旧7月の翌月から7ヶ月間をまとめると「中気が1つ入る月が2つ、中気が2つ入る月が2つ、中気が入らない月が3つ」になるのです。これのどこに問題があるのでしょうか。

試しに「中気がなければ閏月」を全部適用すると処暑以降は「7月・閏7月・8月・9月・10月・閏10月前半」で2033年が終わり、2034年は「閏10月後半・11月・閏11月」でやっと春分の前まで来ます。おやおや、旧暦では年末に達してないのにもう春…。こんな非現実な月数では困ってしまいますね。

実は旧暦にもうひとつ大事なルールがあって、「春分を含む月は2月、夏至を含む月は5月、秋分を含む月は8月、冬至を含む月は11月とする」というもの。これは閏月の過不足により二至二分が大きくズレないようアンカーの役割を果たします。つまり問題の期間は「どこを8月/11月/2月にするか」「それに伴いどこに閏月を置くか」の決め手がありません。月の番号を飛ばしたり矛盾させることなく割り振らなければ朔望や六曜(大安や仏滅など)も決められないから、そこにぶら下がる各種行事もいつ行えば良いか決められません。これが2033年問題の本質です。現在も残る旧暦の仕組み(天保暦)になってから初めての出来事でした。

現代日本に「公的に旧暦を定める機関」は存在しません。問題発生まで残り10年を切ってしまったのにいまだ解決策は無く混乱したまま。カレンダー業界も戦々恐々。大きくは国立天文台・暦wikiで述べられている三つの案のどれかを採用するしか無さそうですが、どれを採っても何らかの「特別扱い」にならざるを得ません。もう旧暦をすっぱりと無くしていいんじゃないか、といった強硬意見もちらほら。結婚式やお葬式に大安や友引を気にする人は少数派になりつつありますからね。人の世はゆっくり変わるもの。いつかは変化を受け入れてゆかねばならないし、古い格式や作法にいつまでもこだわったって得することもありません。(回顧主義者はメリットデメリットなんて気にしないと思いますが。)

初詣や七五三、十三参りから冠婚葬祭の日取りに至るまで、歴史や宗教的意義、日取りにまつわる深い由緒をきちんと理解して臨むというより、思い出に刻むための家族行事・季節イベントとして向き合う方も多いと思われます。「旧暦は農業に欠かせない」等のイメージがただの都市伝説で、旧暦はとっくの昔に形骸化していることは1981年刊の理科年表読本「こよみと天文・今昔」(著:内田正男氏)でも既に指摘されていました。なれば、これからの人生の節目に対して、多くの人に受け入れられる「旧暦にとらわれない新しい日本文化」を再構築するのも悪くないでしょう。時期を同じくして閏秒廃止も行われるようですから、暦の仕組みを刷新するのに好都合かも知れませんよ。

どの旧暦特別案を採択するかで2033年の名月や翌年の旧正月の日付が変わりますが、別に満月の回数が増えたりしませんから天文ファンは例年と変わらず過ごすことでしょう。公開天文台などでは複数回の名月観賞が催されるかも知れません。天文年鑑や現象カレンダーはどう書くでしょうか?前年から編纂が始まるので、2030年ごろまでには方針を決めなくちゃなりませんね。5年カレンダーや3年日記帳なども発売される時代だから、実際の業界内混乱はそろそろ始まってるのかも。六曜入りのカレンダーは業者によってかなり異なりそう。残り7、8年を生暖かく見守りましょう。

  • 新暦と旧暦の区切り(2033年・仮)

    A.新暦と旧暦の区切り(2033年・仮)
  • 新暦と旧暦の区切り(2034年・仮)

    B.新暦と旧暦の区切り(2034年・仮)


【少しだけ深く…】
大昔から研究改良を重ね使われてきた太陰太陽暦。そのなかで現代日本に細々と残っているのは「天保暦」です。1844年(天保15年)から明治5年の太陽暦導入まで公の暦として使われました。一般に日本で旧暦と言ったら天保暦を指します。(※中国などの旧暦はまた違いますからご注意。)更に厳密に言うと、最新の力学で計算した天体運行は旧暦当時の計算法と少し違うため、同じルールで旧暦計算しても当時の暦を正しく再現したとは言えません。当時の暦再現には計算誤差をひっくるめて考える必要があります。

天保暦より前は二十四節気を日割り分割する平気法が使われていました。これだと15.2日ごとに二十四節気がやってきて分かり易い反面、実際の太陽運行とずれてしまう欠点があります。太陽は近日点で速く、遠日点で遅く動くため、一定距離の移動時間にムラがあるからです。

実物の運行に合わせ天保暦からは定気法(太陽視黄経を24等分する)を導入。でもこれはこれで困ったことが起きます。二十四節気の間隔が14日から16日の間で伸び縮みしますから、一般市民は次の節気が予想しにくい→誰かが正しい計算をして暦を配布する必要あるのです。政府お抱え天文技師の重要度が増したと思われます。江戸時代初期から木版印刷による頒暦が流通するようになったそうですが、旧暦の歴史で大事なことは「朝廷や幕府による暦の一元管理」という点ですね。当時の暦の原本などは国会図書館デジタルアーカイブとして新法暦書新法暦書続編などが残っており、どなたでも閲覧可能です。メチャクチャ面白いのでぜひ解読してみてください。旧暦2033年問題は「地球近日点に近い側(1月初旬を含む前後数ヶ月)では二十四節気の間隔が狭まるため、2節気ぶんの間隔が1朔望月に肉薄して起こった問題」と言い換えることもできるでしょう。