十日夜の月2019/11/07

20191106_11185十日夜の月
昨夕の真っ赤な『焼け』がまだ冷え鎮まる前から、南東の空に上弦を少し過ぎた月が輝き始めていました。月は夜半まで絶えることなく街々を照らし続けました。風もなく、ほんの少し寒さを感じる秋らしい空です。

左は6日19:20過ぎ、南中をほんの少し過ぎたころ撮影したお月様。太陽黄経差は111.85°、撮影高度は約40.5°、月齢9.28。この月は「十日夜」の月。十五夜(旧暦8月15日夜の月)、十三夜(旧暦9月13日夜の月/二の月/後の月)と並び、三の月(旧暦10月10日夜の月)とも言われます。ただ、三の月まで眺めるような風習は聞いたことがありません。現代の造語ではないかと思ってしまうほどです。

調べるとすぐ分かりますが、本来の「十日夜」は月にお供えしたり愛でたりするのではなく、収穫祭にプラスして来年の豊作祈願や子宝祈願が混じった様なお祭り。農業が平民の主要産業だった時代の伝統です。私の住む茨城では確か「亥の子」と言ってた気がするのですが、こども時代の記憶なので怪しいです。十日夜(とおかんや)と同等の風習である「亥の子」は関西の言葉だそうです。収穫物やお団子をお供えするのは神棚ですね。私の座右の書である「新日本大歳時記」(講談社)によれば、十三夜までは秋の行事/季語であるのに対し、十日夜は冬の巻に載っており、初冬の行事/季語という別物扱いでした。

月には直接関係しないとは言え、「旧暦の行事」というだけで暗に月齢が関わることは明白。現代暦で太陽に直接感謝したりお供えするのは初日の出くらいですが、それ以外の行事だって大前提として太陽の運行があればこそ。同じように、旧暦行事におけるお月様は重要だと思うのです。

今は今で「十日夜」の月に感謝したり、願ったり、清めてもらえば良いこと。これまでも時代に応じ、自然観やお祭り事の内容、しきたりなど変遷してきました。伝統行事は決して書物や民俗資料館などに封じ込めるものではなく、昔も今も私たち庶民の心の支えやけじめにならなくては意味がありません。また、形式だけ真似てもイベント化、形骸化するばかりでは、何を目指していたか分からなくなってしまうでしょう。守り伝えつつも、柔軟に変わっていけば良いなぁと思います。

今年ももう二ヶ月足らずで終わりますが、みなさんは収穫がありましたか?何に感謝し、来年に何を望みますか?心に思い、願うことは人間の原動力。月でも眺めながらゆっくり考えてみてください。

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