明け方は月も霞む霧でした2017/10/11

20171011明け方の濃霧
昨夕の夕日は真っ赤で、夜になっても「晴れているのに、星月が良く見えない」という空模様でした。案の定、明け方から朝まで茨城南部のあちこちが濃い霧に包まれました。(この霧は全国規模だったようです。)

空に起こる現象の中で「濃霧」、特に夜の濃霧は五本の指に入るほど好きな現象です。一面見るものがないのにいつまでも見入ってしまい、気分は妙にハイテンション。五里霧中の諺のごとく、目を開けているのに夢の中…この感じ、伝わるでしょうか?

何も見えないとは言え現代は真夜中でも強い光源があちこちにあって、濃霧でも周囲を照らしています。人里離れた地での濃霧と街の濃霧とでは受ける印象も変わるでしょう。天体観測に向かうため深夜に濃霧の山道を走った経験は何度もありますが、前照灯+フォグランプでも数十メートル先すら見えない状況は恐怖そのものでした。

20171011明け方の濃霧
今朝はカメラ片手に家の周囲をグルリと撮影し回りつつ、霧の様子を観察しました。じっくりご覧になった経験が無い方は、霧が「一面に一様な蒸気が停滞している状態」といったイメージを持っていることでしょう。でも右のような街灯の真下に立って観察すると、あちこちに濃淡があってダイナミックに動き回っていることが理解できます。風も無いのに、沸騰したヤカンの蒸気みたいな勢いで動くこともあるんですよ。

雲海の境界に立ったこともあるのですが、これは雲の中でも同じです。決して「固定された綿のようなもの」ではありません。それはマンガの見過ぎならぬ、写真の見過ぎなのです。ぜひ実物の夜霧を見てください。

公園の木々は葉を落とし始めたものの、まだまだがんばっています。街灯に近い樹木の近くでは左下画像のような光線効果が目立ちました。風があると光線がフワフワ動いてとても美しいのですが、写真が撮りづらくなります。今朝は全く無風でした。無風だからこそ濃霧だったのでしょうが、おかげで鮮明な画像に残せました。

20171011明け方の濃霧
早朝の森など、太陽光による霧中の光線も素晴らしいのですが、至近の街灯による光線は決して太陽では見られない「光源が近い」ことによる効果が浮き彫りになります。それは「どこから見ても花火のように見える」こと。放射状になっている光線の中央に光源がありますので、どんなに違う方向から見ても、見る高さを変えても放射状ですね。

20061210森の霧と光線
太陽の場合は光源が遠いため、太陽がカメラ方向に無ければ右画像の様に放射状に感じにくくなってしまいます。(※もちろん光線を延長すると太陽へ行き着くので、間違いなく放射状ですが…。)

濃霧はその捉え所の無さに似合わず様々な発見があります。視覚的なことに留まらず、音の聞こえ方や肌への触覚、味はするのだろうか、虫はどう感じているのか、霧でも鳥はちゃんと飛べるのだろうか等々、興味は尽きません。

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